2012.04.24
ミュゼメモ・ポロックとKATAGAMI
本日は、きのうから急に主婦を復活させた母に休日だというのに7時半に叩き起こされ(いつも8時過ぎに朝食ができるのだが今朝は「ごはんできちゃったから起きな!」でした)、ゆっくりと頂いてゆっくりと身支度したら予定より1時間遅れになりましたが、竹橋へ出て近代美術館と三菱一号館美術館へ行ってきました。
行こうかなどうしようかな、ほんと言うとそれほどグッと来ない企画なんだけどな、と前々から思ってて、でもちょっと気にはなるのでええい、いいや、つまんなかったら巻いて帰ってこよう、と出掛けたら閉館までかかった。そんなもんだ。
:近代美術館:ジャクソン・ポロック展
抽象画の代名詞みたいな、絵筆を画面に着けないで絵具を滴らせて描くドリッピングを確立した(ポーリングっていう言葉も使われてたんだけどその違いが今だよくわからん)、アルコール中毒による劇的な事故死で幕を閉じたアメリカの画家の大特集。
似たような描き方だったら色がきれいなサム・フランシスのほうが好きなような気がするのですが、ちゃんと観もせんで好きじゃないって言うのもどうよね、と思ってとりあえず行ってみました。
……彼に限らないんだけど、どうも近現代の絵描きっていうと、「誰もしたことのない技法を!」「おれだけの独特の個性を!」みたいな表現手法にきゅうきゅぅとしてて苦しそうで(北野武の《アキレスと亀》はこのへんを戯画的に掬ってて観てるとじつにイヤ〜〜な気分になります)、逆に技巧よりアイディア(含む作品に込めた思い入れとか思想とか批評とか)で勝ち負けが決まるような(オノ・ヨーコのアイディアは好きだけど)、まず技巧ありきの中世職人文化から出てきた14〜16世紀の絵が好きな人間としてはどうかなぁそれ、と思っちゃうんすよね。
型どおりでもいいじゃない。きれいに描けるだけだっていいじゃない。きれいに描けてそれにほんのり独自性がおのずと滲んできちゃうくらいでいいじゃない。
と思ったのは、ドリッピングを確立した前後の作品で、余白のうえに墨のような黒い(でもエナメル塗料の)絵具をさささっと垂らした、絵っていうより文字みたいな―― 言っちゃえば、それ、書で在るよ、というのがあってだね、西洋画の文脈のなかで新奇なものを捜したって別な文化のなかで在っちゃえばじたじたしてるぶんムダに(ある意味)なっちゃうんじゃないかなぁ――と、たぶん結構なひどいことを、考えちゃったもんで。
新しくなんかなくていいから、そんな苦しまないでいいから、ただ需要のあるものを自分なりに研ぎ澄ましていくだけでもいいんじゃないかなぁ。
きっと美術史家にそんな凡俗な感想を言ったらポロックの絵画が歴史的に如何に重要なもんか懇々と説教されそうですけどそう思うんだもんしょうがないじゃないか。
土臭い色合いで有機的なかたちの人間を描いた初期の絵と、上記の余白に黒とちょっとの赤や小石で描いた一見魑魅魍魎図みたいなドリッピング後の絵がいちばん良かったです。
あと、別に気に入りはしなかったけど、傑作といわれる《インディアン・レッドの地の壁画》はやっぱりいくら見ても見飽きない。気持ちのいい絵でした。
――で常設行ったら、柱のかげにぽっとジョゼフ・コーネルの小箱があり、わああああああああああ!!!!と内心叫びながら飛びつきました。い…い…いいもん持ってんじゃねーかっ…近代美っ…(涙)
いや、大きさとか意味合いとか衝撃度とかいろいろ比べちゃいけないんだろうけど、どっちが私の精神にいい働きを及ぼすかっていったら、完全にコーネルに軍配が上がるね。
アメリカの都市の片隅でひっそりと生きてひっそりと死んだコーネルも一般的な尺度で言ったらけっして幸福な人生とはいえないと思うけど、こういう函を思い、組み立て、眺めてるあいだは少なくとも、幸せであったと思う。
一時はアメリカ画壇の頂点を極めたポロックは、制作において、同じだけの幸せを得られていたんだろうか。
(ところでコーネルの函の心地良さの理由としては、「清潔さ」に支配された「詩情」と「かわいげ」のバランスだと思うんだけど、それほどテクニックも、とびきりの丁寧さも無いてづくりの函が、どうしてこんなにいいのか説明できない。コーネルの感性がなんかいいとしか言えないものかなー。天賦の才ってこういうもんだろうか。)
で、常設まで見てたら15時回っちゃったんで(もう4時間が経過)、皇居のお堀に沿って持参のおにぎりむしゃむしゃ食べながら(←昼食。)三菱1号館へ移動。
(途中、ちょっとした公園みたいなスペースで一抱え以上あるリクガメを見かける。…お散歩…?飼い主(持ち主)らしき人影は無し。リーマンのおっちゃん方がそろそろと近づいては携帯で写真を撮る。ご家族に「今日おれカメ見ちゃってさぁ、でっかいの!」などと見せるんだろうか。ほほえましい。でもどうするんだこのカメ。)
:三菱1号館美術館:型紙展
タイトルからしてぢみ〜な企画。たぶん混むまい、と思ったが、果たしてたいして人が居なかった。
主眼は江戸時代の職人の腕が光る型紙現物と、それに影響を受けたとされるミュシャやラリックやらアール・ヌーヴォーの家具やら(←ルーブル美術館でこの時代の家具に度肝を抜かれてから観られるときはせっせと観ている)。
やはり、印象としてはぱっとしないながら、キュレーターさんの努力の賜物、という感想。いやぁ、よくまぁここまで調べ上げなすったもんだよ。家具かわいいです家具。
いちめんに同じ模様でびっしり画面を埋める、というとこで、オールオーヴァー(前面を覆う=どこがメイン、という中心の無い)なポロックの絵をまた思い出して、職人と画家の違いについてちょっと考えた。
なお、ポロック展のおみやげ売り場にあったら絶対いいと思ったんだけど、いわゆる水風船用のゴム風船(「半製品の付いた風船型を着色したゴム液に回転させながら垂らし落とすことにより製造される」らしい)。筆使ってないけど、そして職人技だけど、理論としてはドリッピング。実際、模様そっくり。
いつからこの技法で在るんだろうね。ポロックが見たらショック受けただろうか。
行こうかなどうしようかな、ほんと言うとそれほどグッと来ない企画なんだけどな、と前々から思ってて、でもちょっと気にはなるのでええい、いいや、つまんなかったら巻いて帰ってこよう、と出掛けたら閉館までかかった。そんなもんだ。
:近代美術館:ジャクソン・ポロック展
抽象画の代名詞みたいな、絵筆を画面に着けないで絵具を滴らせて描くドリッピングを確立した(ポーリングっていう言葉も使われてたんだけどその違いが今だよくわからん)、アルコール中毒による劇的な事故死で幕を閉じたアメリカの画家の大特集。
似たような描き方だったら色がきれいなサム・フランシスのほうが好きなような気がするのですが、ちゃんと観もせんで好きじゃないって言うのもどうよね、と思ってとりあえず行ってみました。
……彼に限らないんだけど、どうも近現代の絵描きっていうと、「誰もしたことのない技法を!」「おれだけの独特の個性を!」みたいな表現手法にきゅうきゅぅとしてて苦しそうで(北野武の《アキレスと亀》はこのへんを戯画的に掬ってて観てるとじつにイヤ〜〜な気分になります)、逆に技巧よりアイディア(含む作品に込めた思い入れとか思想とか批評とか)で勝ち負けが決まるような(オノ・ヨーコのアイディアは好きだけど)、まず技巧ありきの中世職人文化から出てきた14〜16世紀の絵が好きな人間としてはどうかなぁそれ、と思っちゃうんすよね。
型どおりでもいいじゃない。きれいに描けるだけだっていいじゃない。きれいに描けてそれにほんのり独自性がおのずと滲んできちゃうくらいでいいじゃない。
と思ったのは、ドリッピングを確立した前後の作品で、余白のうえに墨のような黒い(でもエナメル塗料の)絵具をさささっと垂らした、絵っていうより文字みたいな―― 言っちゃえば、それ、書で在るよ、というのがあってだね、西洋画の文脈のなかで新奇なものを捜したって別な文化のなかで在っちゃえばじたじたしてるぶんムダに(ある意味)なっちゃうんじゃないかなぁ――と、たぶん結構なひどいことを、考えちゃったもんで。
新しくなんかなくていいから、そんな苦しまないでいいから、ただ需要のあるものを自分なりに研ぎ澄ましていくだけでもいいんじゃないかなぁ。
きっと美術史家にそんな凡俗な感想を言ったらポロックの絵画が歴史的に如何に重要なもんか懇々と説教されそうですけどそう思うんだもんしょうがないじゃないか。
土臭い色合いで有機的なかたちの人間を描いた初期の絵と、上記の余白に黒とちょっとの赤や小石で描いた一見魑魅魍魎図みたいなドリッピング後の絵がいちばん良かったです。
あと、別に気に入りはしなかったけど、傑作といわれる《インディアン・レッドの地の壁画》はやっぱりいくら見ても見飽きない。気持ちのいい絵でした。
――で常設行ったら、柱のかげにぽっとジョゼフ・コーネルの小箱があり、わああああああああああ!!!!と内心叫びながら飛びつきました。い…い…いいもん持ってんじゃねーかっ…近代美っ…(涙)
いや、大きさとか意味合いとか衝撃度とかいろいろ比べちゃいけないんだろうけど、どっちが私の精神にいい働きを及ぼすかっていったら、完全にコーネルに軍配が上がるね。
アメリカの都市の片隅でひっそりと生きてひっそりと死んだコーネルも一般的な尺度で言ったらけっして幸福な人生とはいえないと思うけど、こういう函を思い、組み立て、眺めてるあいだは少なくとも、幸せであったと思う。
一時はアメリカ画壇の頂点を極めたポロックは、制作において、同じだけの幸せを得られていたんだろうか。
(ところでコーネルの函の心地良さの理由としては、「清潔さ」に支配された「詩情」と「かわいげ」のバランスだと思うんだけど、それほどテクニックも、とびきりの丁寧さも無いてづくりの函が、どうしてこんなにいいのか説明できない。コーネルの感性がなんかいいとしか言えないものかなー。天賦の才ってこういうもんだろうか。)
で、常設まで見てたら15時回っちゃったんで(もう4時間が経過)、皇居のお堀に沿って持参のおにぎりむしゃむしゃ食べながら(←昼食。)三菱1号館へ移動。
(途中、ちょっとした公園みたいなスペースで一抱え以上あるリクガメを見かける。…お散歩…?飼い主(持ち主)らしき人影は無し。リーマンのおっちゃん方がそろそろと近づいては携帯で写真を撮る。ご家族に「今日おれカメ見ちゃってさぁ、でっかいの!」などと見せるんだろうか。ほほえましい。でもどうするんだこのカメ。)
:三菱1号館美術館:型紙展
タイトルからしてぢみ〜な企画。たぶん混むまい、と思ったが、果たしてたいして人が居なかった。
主眼は江戸時代の職人の腕が光る型紙現物と、それに影響を受けたとされるミュシャやラリックやらアール・ヌーヴォーの家具やら(←ルーブル美術館でこの時代の家具に度肝を抜かれてから観られるときはせっせと観ている)。
やはり、印象としてはぱっとしないながら、キュレーターさんの努力の賜物、という感想。いやぁ、よくまぁここまで調べ上げなすったもんだよ。家具かわいいです家具。
いちめんに同じ模様でびっしり画面を埋める、というとこで、オールオーヴァー(前面を覆う=どこがメイン、という中心の無い)なポロックの絵をまた思い出して、職人と画家の違いについてちょっと考えた。
なお、ポロック展のおみやげ売り場にあったら絶対いいと思ったんだけど、いわゆる水風船用のゴム風船(「半製品の付いた風船型を着色したゴム液に回転させながら垂らし落とすことにより製造される」らしい)。筆使ってないけど、そして職人技だけど、理論としてはドリッピング。実際、模様そっくり。
いつからこの技法で在るんだろうね。ポロックが見たらショック受けただろうか。
2012.04.22
Fate/Zero 三話ぶん感想
ふおおおおォオォォォォォあ あ あっぶねぇぇ…
Fate/Zeroイッキ見して ふぃとミクシ覗いたらおっちゃんとこでちょうネタバレしてんやん!!!
というわけで
おいらもちょっと書かせて頂きますぜ
↓
↓
↓
↓
ケイネス・ランサー回の中盤CMで一時停止ボタン押してちょっと泣きました…
「この胸のうちに涼風をもたらしてくれるのは――今やもう おまえの曇りなき闘志のみだ」
「おれは――おまえに出会えてよかった!」
騎士として主君に無償の忠誠を尽くし 戦士として誉れと誇りとのために生きる そういう生き方を欲して貫けなかった彼が 仮初めの生を受けてなお今また主君に不忠と裏切りを詰られ 志の理解を得られない――という己への不甲斐なさと鬱屈とが煮え詰まったところで
バカかっちゅぅくらいにただ高潔な戦いを求める目をきらきらさせた好敵手と真っ向から剣を交えることが出来て
己の在るべき姿、在りたかった場所を、魂を共鳴させる騎士との戦いの中に見出せて
どれほど嬉しかったろうな彼は、と思うと…もう… (T_T)
「騎士道の剣に誉れあれ!」の目の輝きとかどんなに活き活きとして!!
っていう救いのあとにあのエンドっすかマジで
ひ … ひ で ぇ っ …
キリツグとセイバーが高級車挟んで(顔は合わさずに)噛み合わない主義主張を言い合うシーン、《引きの長回しで》《会話だけで繋ぐ》《かつ魅せる》という実に舞台っぽい名場面だと思った。あそこで目を逸らした視聴者は居ないと思うぜ…。すごいな
桔馬ちゃんよろしくおねがいします
ケイネスせんせいの愛が見えたのが慰めかな
(せんせいがあのまま這いずって手のひとつも重ねるかと思ったがそうベタな絵面にしなかったのはよかったかもしれない)
あといくつか前放送時のコミック雑誌CMでFate英霊男性陣のあはんな感じの半裸集合ポスターが付録になってて
誰が買うんだっ… ・・・おれかっ!!??とリターンつっこみをかましましたが買いません
絵柄がちょっとね…というのとこの4人がこんな状況になる説明がつかんで無理くさい、というのとイスカンダルの脛がつるっつるなのが気に喰わん(マケドニアに剃る習慣有ったか?)
あ くれるぶんにはよろこんでいただきますけどね (揉み手)
なおキャスター陣営はさいごまでしあわせそうでよかったですね
さっさと己の真相(&深層←龍之介の場合)に達してりゃぁけっこうな数の人命が助かったのにね
この迷惑探求者ども!!冥府で憩え!!(←エンジョイしてそう)
あとギルガメシュ&イスカンダルのダブルキングのやりとりはいいですね!
お互いに自分と相手の力量と性分をよぅくわかってて 闘いはだいすきだけど冷静にそろばんもはじけてるお二人さんがいつ本気になるのかなーと思うとワクワクしますね!
そんな《王=男代表》の両名が《女だてらに王の皮をかぶって気ィ張ってる哀れな小娘》に向ける視線が…なんかもう…ワフワフしますねっ…!オープニングの彼女の泣きそうな表情と相まってね…そそるね…!!
(「ね」という接尾語は同意を求めるものであってだな)
さて Fate/Zero正統派オールバックチャンピオン(金髪)が逝かれてしまったうえは赤髪のワイルドオールバックへ期待を集中するほかは無いわけだが
リアルでもオールバックを目にする機会が増えるとなると…これはもう…僥倖と言うしかっ…!!(盛大な拍手)
Fate/Zeroイッキ見して ふぃとミクシ覗いたらおっちゃんとこでちょうネタバレしてんやん!!!
というわけで
おいらもちょっと書かせて頂きますぜ
↓
↓
↓
↓
ケイネス・ランサー回の中盤CMで一時停止ボタン押してちょっと泣きました…
「この胸のうちに涼風をもたらしてくれるのは――今やもう おまえの曇りなき闘志のみだ」
「おれは――おまえに出会えてよかった!」
騎士として主君に無償の忠誠を尽くし 戦士として誉れと誇りとのために生きる そういう生き方を欲して貫けなかった彼が 仮初めの生を受けてなお今また主君に不忠と裏切りを詰られ 志の理解を得られない――という己への不甲斐なさと鬱屈とが煮え詰まったところで
バカかっちゅぅくらいにただ高潔な戦いを求める目をきらきらさせた好敵手と真っ向から剣を交えることが出来て
己の在るべき姿、在りたかった場所を、魂を共鳴させる騎士との戦いの中に見出せて
どれほど嬉しかったろうな彼は、と思うと…もう… (T_T)
「騎士道の剣に誉れあれ!」の目の輝きとかどんなに活き活きとして!!
っていう救いのあとにあのエンドっすかマジで
ひ … ひ で ぇ っ …
キリツグとセイバーが高級車挟んで(顔は合わさずに)噛み合わない主義主張を言い合うシーン、《引きの長回しで》《会話だけで繋ぐ》《かつ魅せる》という実に舞台っぽい名場面だと思った。あそこで目を逸らした視聴者は居ないと思うぜ…。すごいな
桔馬ちゃんよろしくおねがいします
ケイネスせんせいの愛が見えたのが慰めかな
(せんせいがあのまま這いずって手のひとつも重ねるかと思ったがそうベタな絵面にしなかったのはよかったかもしれない)
あといくつか前放送時のコミック雑誌CMでFate英霊男性陣のあはんな感じの半裸集合ポスターが付録になってて
誰が買うんだっ… ・・・おれかっ!!??とリターンつっこみをかましましたが買いません
絵柄がちょっとね…というのとこの4人がこんな状況になる説明がつかんで無理くさい、というのとイスカンダルの脛がつるっつるなのが気に喰わん(マケドニアに剃る習慣有ったか?)
あ くれるぶんにはよろこんでいただきますけどね (揉み手)
なおキャスター陣営はさいごまでしあわせそうでよかったですね
さっさと己の真相(&深層←龍之介の場合)に達してりゃぁけっこうな数の人命が助かったのにね
この迷惑探求者ども!!冥府で憩え!!(←エンジョイしてそう)
あとギルガメシュ&イスカンダルのダブルキングのやりとりはいいですね!
お互いに自分と相手の力量と性分をよぅくわかってて 闘いはだいすきだけど冷静にそろばんもはじけてるお二人さんがいつ本気になるのかなーと思うとワクワクしますね!
そんな《王=男代表》の両名が《女だてらに王の皮をかぶって気ィ張ってる哀れな小娘》に向ける視線が…なんかもう…ワフワフしますねっ…!オープニングの彼女の泣きそうな表情と相まってね…そそるね…!!
(「ね」という接尾語は同意を求めるものであってだな)
さて Fate/Zero正統派オールバックチャンピオン(金髪)が逝かれてしまったうえは赤髪のワイルドオールバックへ期待を集中するほかは無いわけだが
リアルでもオールバックを目にする機会が増えるとなると…これはもう…僥倖と言うしかっ…!!(盛大な拍手)
2012.04.11
岸駒の孔雀図
府中市美術館でやってる《三都画家くらべ》で見た《牡丹に孔雀図》がひっじょーーーによろしかったので書き留めておく。
作者:岸駒(がんく)。大阪市立美術館蔵。
緻密に描かれた孔雀二羽、猛禽類めいた顔とか首元のうにょりとした羽毛の連なりとか足の鱗のつぶつぶとか、すっごいリアルで飛び出すような迫力がある。輪郭は細いがくっきりしていて、そのなかの色彩は濡れるように鮮やかで、だけど繊細なグラデーションがどこまでも丁寧。
背景の牡丹の花弁は柔らかくも鮮烈な赤が白に滲むように溶け込んでうっとりとソフト。葉の緑の渋さが引き立てている。一方、岩は筆の勢いそのままにごつごつと無骨。
いや〜、すごいよ、これ。現代に生きてても充分に名の有る絵師(ラノベ系な意味でも)になってるに違いない。ファンタジックなドラゴンとか描いてほしい。
なお二羽とも派手やかな雄なので、つがいじゃないと気付いて瞬時に耽美変換できましたが(人物イメージモデル:いのまたむつみ)、そういう意味でも現代に蘇ってほしい画家ですね!!
なお、この絵に影響を受けてると推測された孔雀の絵がもうひとつありまして、こちらはたぶん上田公長の同名の絵。同じく大阪市立美術館蔵。
繊細さはめっきり薄くなって、そのかわり明確なかたち(ほとんど菱形になってる背中の羽毛とか)と太く鋭い黒々とした輪郭線が主役の孔雀と周囲の葉をばばん、と前面に押し出して、これはこれでイラストっぽくキマっている。人気出るよこれも。アニメ向けですね。
岸駒にしろ上田公長にしろ、まっつぉ先生とかおっちゃん氏あたりに水を向けると「あぁ、これはどっちかっていうと○○路線の△△似かもですね、代表作□□の後期な雰囲気ですよね」とか言ってくれそうな気配がある。
機会があればどうぞ。この2点と、中村芳中(琳派の単純化と金色・垂らしこみを多用した華やかさがどうしてこの人にかかるとこんなゆる可愛くなるのかなぁ)の《人物花鳥図巻》だけでも560円(ぐるパス割引後)の価値はあった。あ、あと丸山応挙の《湖山烟霞図》も素晴らしく好かった!!欲しいなぁ…。
見始めたら2時間ぶっ飛ぶから録画だけして観ないようにしよう、と思ってたのに結局見ちゃった先日の《紅豚》のピッコロ親父の真似をして「もりもり食べてがんがん働こう アーッハッハッハ!」つって朝食食べ始めたら「ついにおかしくなったか…」と母にマジ心配されましたが今日もしごとです。現場しごと自体は楽しくていいんだけど拘束時間が(往復・準備時間の3時間強も込みで)長いのが身動きつかなくてね…。
作者:岸駒(がんく)。大阪市立美術館蔵。
緻密に描かれた孔雀二羽、猛禽類めいた顔とか首元のうにょりとした羽毛の連なりとか足の鱗のつぶつぶとか、すっごいリアルで飛び出すような迫力がある。輪郭は細いがくっきりしていて、そのなかの色彩は濡れるように鮮やかで、だけど繊細なグラデーションがどこまでも丁寧。
背景の牡丹の花弁は柔らかくも鮮烈な赤が白に滲むように溶け込んでうっとりとソフト。葉の緑の渋さが引き立てている。一方、岩は筆の勢いそのままにごつごつと無骨。
いや〜、すごいよ、これ。現代に生きてても充分に名の有る絵師(ラノベ系な意味でも)になってるに違いない。ファンタジックなドラゴンとか描いてほしい。
なお二羽とも派手やかな雄なので、つがいじゃないと気付いて瞬時に耽美変換できましたが(人物イメージモデル:いのまたむつみ)、そういう意味でも現代に蘇ってほしい画家ですね!!
なお、この絵に影響を受けてると推測された孔雀の絵がもうひとつありまして、こちらはたぶん上田公長の同名の絵。同じく大阪市立美術館蔵。
繊細さはめっきり薄くなって、そのかわり明確なかたち(ほとんど菱形になってる背中の羽毛とか)と太く鋭い黒々とした輪郭線が主役の孔雀と周囲の葉をばばん、と前面に押し出して、これはこれでイラストっぽくキマっている。人気出るよこれも。アニメ向けですね。
岸駒にしろ上田公長にしろ、まっつぉ先生とかおっちゃん氏あたりに水を向けると「あぁ、これはどっちかっていうと○○路線の△△似かもですね、代表作□□の後期な雰囲気ですよね」とか言ってくれそうな気配がある。
機会があればどうぞ。この2点と、中村芳中(琳派の単純化と金色・垂らしこみを多用した華やかさがどうしてこの人にかかるとこんなゆる可愛くなるのかなぁ)の《人物花鳥図巻》だけでも560円(ぐるパス割引後)の価値はあった。あ、あと丸山応挙の《湖山烟霞図》も素晴らしく好かった!!欲しいなぁ…。
見始めたら2時間ぶっ飛ぶから録画だけして観ないようにしよう、と思ってたのに結局見ちゃった先日の《紅豚》のピッコロ親父の真似をして「もりもり食べてがんがん働こう アーッハッハッハ!」つって朝食食べ始めたら「ついにおかしくなったか…」と母にマジ心配されましたが今日もしごとです。現場しごと自体は楽しくていいんだけど拘束時間が(往復・準備時間の3時間強も込みで)長いのが身動きつかなくてね…。
2012.03.21
《Vフォー・ヴェンデッタ》感想
V・フォーベンデッタとか、Vフォー・バンデッタとか、なかなか正確に覚えられない憎い洋画。
クラシックな帽子に仮面を装着した黒尽くめの剣士が暗躍する――となれば多少話が難解そうでも観たくなるのがこのおれです。
よかった。
しょっぱなから、ガイ・フォークスの未遂事件&絞首刑の光景にかぶせる思い入れたっぷりの抽象的かつ陶酔的な語りに軽くげんなりだわとか、あぁこの世界は近未来の統制国家を舞台にしてるのね息苦しいわとか、ヒロインが(可愛いけど)見つかったら罰を受けるってスピーカーからさんざ言われてるのにオシャレしてデートに出かけちゃうお馬鹿さんなのかしら幻滅だわとか、せっかく華麗に登場&成敗したヒーローのの仮面のほっぺたピンクが気になって仕方無いわあと台詞ちょうなげぇとか、やるきを削ぐものものが畳み掛けられるにも関わらず、10分くらい見てると――というかガイ・フォークスのにんまり仮面とヒーロー・“V”の饒舌なしゃべりに慣れてくると――なんだかめっきり面白いじゃありませんか。
※ガイ・フォークス…英国ではポピュラーな(らしいよ)歴史的悪役。国会議事堂を爆破しようとして失敗して捕まった。《クレストマンシー・シリーズ》1作目『魔法使いはだれだ』で大事な役回りを担います。てゆか私これで知った。(アトサテで台詞に盛ろうとしたことがある)
以下はネタバレ大いにあります。
これから初見したい、という方はくるりと回りましょう。
↓
↓
↓
はいな。
・テレビ局ジャックの手際のよさ、かつ逃げを打つ入念な準備と大胆な決行にくらくらしました!!!
・そのうちこのひとは“V”の仕業に手を貸すとかして殺されちゃうんじゃなかろうか…と心配になるフィンチ警視。オーバーワークの所為かどんよりしてますがキレ者です。(部下がものわかりよくて良かったね!)
・フィンチ氏がコンタクトを取る謎の老人の名前が「ロックウッド」で前日のホームズにリンクしました!!
・あぁ、冒頭のドレスアップはこのひとの為だったのね…色目使ってんのかこのオッサン、と思っていたら第一印象を大きく上回ってナイスガイだったミスター・ゴードン。
テロリスト“V”の仲間として当局に追われるイヴィー(ヒロイン)を黙って匿う姿に、下心あるからな…と思って見てたらそのじつ「美しいものは美しい」と回教徒でもないのにコーランを(見つかったら只じゃ済まないのに!!)隠し持ち、「だから君が居ても大差ないのさ」と鷹揚に言ってみせる優しさと反逆心に、心底ごめんなさいを言った。
己がメインキャスターで持ってるテレビ番組で国の最高権力者をさんざっぱら笑いものにして国民に腹を抱えさせる場面は、自慢げににやにやするゴードン、不安げに画面を見つめるイヴィー、げらげら笑い転げる人々の顔、の繰り返しに、笑い声が響き渡る愉快な画面が続くのに観てるこっちは泣けてくる・・・
ゴードン、あんた、漢だ。かっこよかったよ、ほんと。
イヴィーのひとりで寝てるダブルベッドに、もうひとりぶんの枕が置いてあるシーンで、あ、一緒に寝てはいるんだ…(まぁ、それくらいはね、)と思ってましたが、
きょうウィキを読んでたら「ゴードンがイヴィーの上司で、同性愛者なのは映画オリジナル。」てあってえええええ!!??
ご・・・ごめん・・・ミスター・ゴードン、あんたほんと善意のひとや・・・orz
・話が前後しますが“V”の隠れ家にも美術品が所狭しと置かれていて、一瞬ゴードンと彼がどっかで繋がってんのかと思いました。いいなぁぁ、ああいう個人ギャラリー。閉じ込められて「1年もここに居ろっていうの!?」ていうイヴィーにいいじゃん1年くらい、て瞬時に反駁した。(《アルノルフィーニ夫妻像》だけで2週間いけるぜ…)
・音も無く屋根に身をひるがえす“V”のスローモーションの身のこなしに溜息ついて3度見返す。(俳句?)
・そのくせ、室内ではコツコツ重そうな靴音響かせて歩くのが耳に心地良いんだっ…!!
・“V”の部屋着は、胸元が妙にぴっちり詰まっていてなんか下に入れてるっぽいなぁ。一方、袖はふわふわと優雅にひろがっています。どっちにしろ、肌はぜんぜん見せないな、このひと。
・最終的に、彼は映画中いちども素顔を見せない(“役者”さんは一瞬出してるらしいけど)のだが、それってすごいことじゃないかね。身振り、手振り、顔の傾き…表情が無いだけに、ほかのすべてに“表情”を込める、この役者さんの達者なこと。(われわれもこのへんを勉強すべきだね、と思ったよ。)
かっこよさも、厳しさも、可愛らしさも、表現せしめて。むー、すげぇ。あっぱれ。
・「仮面の下に顔はあるがそれは私ではない。顔の下の筋肉も私でなければその下の骨も違う。仮面の下にあるのは理念だ」
――“私”が“私”であるのは、生身のこの顔や体が示すものでなく、「こう在りたい」として在る姿なのだ。
ああそれって《オペラ座の怪人》じゃない!!!!
・そういえば真紅の薔薇が意味深に出てきます
・そういえば黒尽くめに白い仮面ですね (※「似てる」という指摘も散見される…みんな好きだな…。)
・…わたしこういう、変態めいた抑えた熱狂みたいな愛のかたちが、好きすぎるんだろうな。
イヴィーに対しての「え !? そこまでするか正気で!!?」という例のアプローチも、なんか1周回っていじらしい、みたいな…彼なりの必至さを感じる、みたいな…。
べしゃっと投げ込まれるゴミみたいな食餌をも、彼がどうやってこしらえたんだろう、とか思うと…。
「べつにラブはいらんかった」という感想をちらちら見かけましたが、でもあれ男女のラブじゃなくってもいいじゃん。父娘のでもいいし、同志のでもいいし、だから男女のラブでもいいじゃないべつに!!
・まぼろしのように挿入される、同性者を愛した女優の思い出が、きれいすぎて、ぼろぼろ泣いた。
・「――踊ったことは無いんだ。」のさびしさとせつなさとかわいげと孤独と、孤独の終わり。
・ドミノに鳥肌立った。
・仮面の群れにさらに泣いた。
・地下鉄の決別のシーンでは…もう“V”の仮面が仮面に見えない。それこそが“V”の顔だ。彼の選んだ彼の顔だ。だから、キスを受けるのが仮面の口であっても、決して不自然に見えはしないし、一度そっと拒絶されてからは、イヴィーは彼の“生身の”顔を見ようとはしない。
・でこのあとの“V”の無敵&かっちょよさっぷりは、最強である。
・“V”を看取って送り出すあたりの、静かな意志をみずうみのように深くたたえたイヴィーの瞳が、しんとして、いい。
あれだけの人間が何かを求めるためにいっせいに何かをする、という事象自体は、わたしは諸手を挙げて感動することは出来ない、たぶん。何かしらそこに狂気の熱を見出だし、それを忌避したいと思うと思う。それがいかに英雄的高揚でも。
けど、この映画のラストシーンは、映画らしい感動をくれるものだと思う。
シェイクスピアや古典を踏まえた“V”の長ったらしいしゃべりの原本や、サッチャー政権の影響を鑑みる政治的背景や、そういう深掘りする要素はさまざまにあるけれど、“V”という男の《かっこよさ》だけを見ようとして観てもいいんじゃないでしょうか。
特に士郎正宗みたいな小難しい世界が好き、という方には、かなりフィットするんじゃないかしら。
おすすめ。
ノーカット版も観たいぜ。
クラシックな帽子に仮面を装着した黒尽くめの剣士が暗躍する――となれば多少話が難解そうでも観たくなるのがこのおれです。
よかった。
しょっぱなから、ガイ・フォークスの未遂事件&絞首刑の光景にかぶせる思い入れたっぷりの抽象的かつ陶酔的な語りに軽くげんなりだわとか、あぁこの世界は近未来の統制国家を舞台にしてるのね息苦しいわとか、ヒロインが(可愛いけど)見つかったら罰を受けるってスピーカーからさんざ言われてるのにオシャレしてデートに出かけちゃうお馬鹿さんなのかしら幻滅だわとか、せっかく華麗に登場&成敗したヒーローのの仮面のほっぺたピンクが気になって仕方無いわあと台詞ちょうなげぇとか、やるきを削ぐものものが畳み掛けられるにも関わらず、10分くらい見てると――というかガイ・フォークスのにんまり仮面とヒーロー・“V”の饒舌なしゃべりに慣れてくると――なんだかめっきり面白いじゃありませんか。
※ガイ・フォークス…英国ではポピュラーな(らしいよ)歴史的悪役。国会議事堂を爆破しようとして失敗して捕まった。《クレストマンシー・シリーズ》1作目『魔法使いはだれだ』で大事な役回りを担います。てゆか私これで知った。(アトサテで台詞に盛ろうとしたことがある)
以下はネタバレ大いにあります。
これから初見したい、という方はくるりと回りましょう。
↓
↓
↓
はいな。
・テレビ局ジャックの手際のよさ、かつ逃げを打つ入念な準備と大胆な決行にくらくらしました!!!
・そのうちこのひとは“V”の仕業に手を貸すとかして殺されちゃうんじゃなかろうか…と心配になるフィンチ警視。オーバーワークの所為かどんよりしてますがキレ者です。(部下がものわかりよくて良かったね!)
・フィンチ氏がコンタクトを取る謎の老人の名前が「ロックウッド」で前日のホームズにリンクしました!!
・あぁ、冒頭のドレスアップはこのひとの為だったのね…色目使ってんのかこのオッサン、と思っていたら第一印象を大きく上回ってナイスガイだったミスター・ゴードン。
テロリスト“V”の仲間として当局に追われるイヴィー(ヒロイン)を黙って匿う姿に、下心あるからな…と思って見てたらそのじつ「美しいものは美しい」と回教徒でもないのにコーランを(見つかったら只じゃ済まないのに!!)隠し持ち、「だから君が居ても大差ないのさ」と鷹揚に言ってみせる優しさと反逆心に、心底ごめんなさいを言った。
己がメインキャスターで持ってるテレビ番組で国の最高権力者をさんざっぱら笑いものにして国民に腹を抱えさせる場面は、自慢げににやにやするゴードン、不安げに画面を見つめるイヴィー、げらげら笑い転げる人々の顔、の繰り返しに、笑い声が響き渡る愉快な画面が続くのに観てるこっちは泣けてくる・・・
ゴードン、あんた、漢だ。かっこよかったよ、ほんと。
イヴィーのひとりで寝てるダブルベッドに、もうひとりぶんの枕が置いてあるシーンで、あ、一緒に寝てはいるんだ…(まぁ、それくらいはね、)と思ってましたが、
きょうウィキを読んでたら「ゴードンがイヴィーの上司で、同性愛者なのは映画オリジナル。」てあってえええええ!!??
ご・・・ごめん・・・ミスター・ゴードン、あんたほんと善意のひとや・・・orz
・話が前後しますが“V”の隠れ家にも美術品が所狭しと置かれていて、一瞬ゴードンと彼がどっかで繋がってんのかと思いました。いいなぁぁ、ああいう個人ギャラリー。閉じ込められて「1年もここに居ろっていうの!?」ていうイヴィーにいいじゃん1年くらい、て瞬時に反駁した。(《アルノルフィーニ夫妻像》だけで2週間いけるぜ…)
・音も無く屋根に身をひるがえす“V”のスローモーションの身のこなしに溜息ついて3度見返す。(俳句?)
・そのくせ、室内ではコツコツ重そうな靴音響かせて歩くのが耳に心地良いんだっ…!!
・“V”の部屋着は、胸元が妙にぴっちり詰まっていてなんか下に入れてるっぽいなぁ。一方、袖はふわふわと優雅にひろがっています。どっちにしろ、肌はぜんぜん見せないな、このひと。
・最終的に、彼は映画中いちども素顔を見せない(“役者”さんは一瞬出してるらしいけど)のだが、それってすごいことじゃないかね。身振り、手振り、顔の傾き…表情が無いだけに、ほかのすべてに“表情”を込める、この役者さんの達者なこと。(われわれもこのへんを勉強すべきだね、と思ったよ。)
かっこよさも、厳しさも、可愛らしさも、表現せしめて。むー、すげぇ。あっぱれ。
・「仮面の下に顔はあるがそれは私ではない。顔の下の筋肉も私でなければその下の骨も違う。仮面の下にあるのは理念だ」
――“私”が“私”であるのは、生身のこの顔や体が示すものでなく、「こう在りたい」として在る姿なのだ。
ああそれって《オペラ座の怪人》じゃない!!!!
・そういえば真紅の薔薇が意味深に出てきます
・そういえば黒尽くめに白い仮面ですね (※「似てる」という指摘も散見される…みんな好きだな…。)
・…わたしこういう、変態めいた抑えた熱狂みたいな愛のかたちが、好きすぎるんだろうな。
イヴィーに対しての「え !? そこまでするか正気で!!?」という例のアプローチも、なんか1周回っていじらしい、みたいな…彼なりの必至さを感じる、みたいな…。
べしゃっと投げ込まれるゴミみたいな食餌をも、彼がどうやってこしらえたんだろう、とか思うと…。
「べつにラブはいらんかった」という感想をちらちら見かけましたが、でもあれ男女のラブじゃなくってもいいじゃん。父娘のでもいいし、同志のでもいいし、だから男女のラブでもいいじゃないべつに!!
・まぼろしのように挿入される、同性者を愛した女優の思い出が、きれいすぎて、ぼろぼろ泣いた。
・「――踊ったことは無いんだ。」のさびしさとせつなさとかわいげと孤独と、孤独の終わり。
・ドミノに鳥肌立った。
・仮面の群れにさらに泣いた。
・地下鉄の決別のシーンでは…もう“V”の仮面が仮面に見えない。それこそが“V”の顔だ。彼の選んだ彼の顔だ。だから、キスを受けるのが仮面の口であっても、決して不自然に見えはしないし、一度そっと拒絶されてからは、イヴィーは彼の“生身の”顔を見ようとはしない。
・でこのあとの“V”の無敵&かっちょよさっぷりは、最強である。
・“V”を看取って送り出すあたりの、静かな意志をみずうみのように深くたたえたイヴィーの瞳が、しんとして、いい。
あれだけの人間が何かを求めるためにいっせいに何かをする、という事象自体は、わたしは諸手を挙げて感動することは出来ない、たぶん。何かしらそこに狂気の熱を見出だし、それを忌避したいと思うと思う。それがいかに英雄的高揚でも。
けど、この映画のラストシーンは、映画らしい感動をくれるものだと思う。
シェイクスピアや古典を踏まえた“V”の長ったらしいしゃべりの原本や、サッチャー政権の影響を鑑みる政治的背景や、そういう深掘りする要素はさまざまにあるけれど、“V”という男の《かっこよさ》だけを見ようとして観てもいいんじゃないでしょうか。
特に士郎正宗みたいな小難しい世界が好き、という方には、かなりフィットするんじゃないかしら。
おすすめ。
ノーカット版も観たいぜ。
2012.03.20
《シャーロック・ホームズ》
「ちかごろテレビ欄すら見ていない」つってた会合後、帰宅してひさしぶりにテレビ欄広げるとずっと観たいと思ってた《シャーロック・ホームズ》が絶賛放映中でウボァーーーーー
※《アイアンマン》でハートを掴まれ、しかしよく考えたら《アリー・myラブ》ではるか以前に掴まれてたロバート・ダウニーJr.主演のむさい肉体派推理活劇。シュッとしたワトスンくんの絡みがちょうF女子的。(原作読んだら既にF女子的でした。)
(ワトスンくんとラブラブな婚約者さんのイイ女っぷりがすさまじかった…なんという理解と愛っ…!!)
途中から観たせいか、思ったほど推理も活劇も期待を下回ってこぢんまりだったけど
悪役がコレダァァァーーーーーーーーーッッッ!!!!!なオールバックでもうそれだけでほかになにもいらなかった。
櫛目も瑞々しいぬめやかなオールバックの下のほうはなぜかネイティブ・アメリカン風に剃り上げてるとか、ものものしいトラディショナルダークスーツをびしょりと着こなしてるその肩幅が妙に狭くて色っぽいなで肩だとか、英国議会を手中に収めかつての植民地米国を乗っ取り百年王国を築こうみたいな大言壮語を吐きながらそのじつトリックはじつにみみっちい小細工の積み重ねじゃねぇかとか、なんだろう、この小者感は!!(褒めてます)
なんだかんだ申しまして、板いちまい一枚ひっぺがしながら這いつくばってぢみぢみ落ちかけるどんづまりの姿に無性にもへました。
最終的にヒールはヒーローに一度は助けられるけど結局自業自得で勝手に死ぬ、という手ハ汚サナイスタイルが踏襲されててあんしんして見られますね。(皮肉です)
ホームズの声が、なんだっけこれ絶対知ってる、ていうか観てる、えーーーとアニメだよな、たぶん銀魂だよな、えーーーと悪役…悪役か?なんだっけこの長口舌…えーとえーと…黒い感じの…
と本編見ながら悶々としてましたが、終了間際にわかったよ、阿伏兎だ。
ちなみにオールバックのロックウッド卿は大塚明夫さんだよィウッフーーーー!!!(盤石の心地良さ)
いきおいでずいぶん前に撮ってあった《V・フォーヴェンデッタ》も観ましたがその感想はまた別の日に。
※《アイアンマン》でハートを掴まれ、しかしよく考えたら《アリー・myラブ》ではるか以前に掴まれてたロバート・ダウニーJr.主演のむさい肉体派推理活劇。シュッとしたワトスンくんの絡みがちょうF女子的。(原作読んだら既にF女子的でした。)
(ワトスンくんとラブラブな婚約者さんのイイ女っぷりがすさまじかった…なんという理解と愛っ…!!)
途中から観たせいか、思ったほど推理も活劇も期待を下回ってこぢんまりだったけど
悪役がコレダァァァーーーーーーーーーッッッ!!!!!なオールバックでもうそれだけでほかになにもいらなかった。
櫛目も瑞々しいぬめやかなオールバックの下のほうはなぜかネイティブ・アメリカン風に剃り上げてるとか、ものものしいトラディショナルダークスーツをびしょりと着こなしてるその肩幅が妙に狭くて色っぽいなで肩だとか、英国議会を手中に収めかつての植民地米国を乗っ取り百年王国を築こうみたいな大言壮語を吐きながらそのじつトリックはじつにみみっちい小細工の積み重ねじゃねぇかとか、なんだろう、この小者感は!!(褒めてます)
なんだかんだ申しまして、板いちまい一枚ひっぺがしながら這いつくばってぢみぢみ落ちかけるどんづまりの姿に無性にもへました。
最終的にヒールはヒーローに一度は助けられるけど結局自業自得で勝手に死ぬ、という手ハ汚サナイスタイルが踏襲されててあんしんして見られますね。(皮肉です)
ホームズの声が、なんだっけこれ絶対知ってる、ていうか観てる、えーーーとアニメだよな、たぶん銀魂だよな、えーーーと悪役…悪役か?なんだっけこの長口舌…えーとえーと…黒い感じの…
と本編見ながら悶々としてましたが、終了間際にわかったよ、阿伏兎だ。
ちなみにオールバックのロックウッド卿は大塚明夫さんだよィウッフーーーー!!!(盤石の心地良さ)
いきおいでずいぶん前に撮ってあった《V・フォーヴェンデッタ》も観ましたがその感想はまた別の日に。


